★ABOUT JESUS Vol.5

●Vol.5:"Were you there...?"



ご無沙汰しています。スーパースローなこのコーナーがはじまってから二度目の春です。
春といえばイースター。クリスマスに劣らず大切なキリスト教のお祭りなのですが、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスほどには一般によく認知されていないようですね。

12月25日と決まっているクリスマスと違い、イースターは「春分の日のあとの最初の満月の夜の次の日曜日」(ややこし!)となっているので、年によってタイミングが変わるのです。このイースターの直前の一週間を聖週間(Holy Week)といいます。この週の金曜日がイエスが十字架で死んだ日。悲しみの週が明けての日曜日が、イエスの復活を喜び祝うイースター、というわけです。

今回はキリスト教にとってのイエスと十字架(Cross)の意味についてお話しようと思います。なぜなら、光と闇、喜びと悲しみを歌い描くゴスペルにとって、十字架は絶対に欠かすことのできないポイントだからです。

前回は、『Amazing Grace』の歌詞から、人間がどうしても持っている罪(sin)と、それを救う神の恵み(grace)としてのJesusについて考えてみましたよね。ではどうしてJesusは人を罪から救うことができるのか。よく分からないですね。実は、イエスがいよいよ死刑になるときにも、よく分からない人々が大勢いました。十字架の上で憔悴していくイエスに向かって「救い主なんだろう、自分を救ってみろ、十字架から降りてみろ」と挑発する声があったといいます。なーんだ、何も起こらないじゃないか、死んじゃうのかよ..。と多くの人が思ったことでしょう。

ところが、そんな人々を見ながらイエスはこう言いました。「父(神)よ。彼らをお許しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。(ルカによる福音書23章)」

自分が何をしているのか分からないままに生き続け、それゆえに人を傷つけ罪を犯し続ける。そんな人間の罪を赦すために、実は神がイエスを「身代わり(スケープゴート)」として処刑したのでした。 イエスはこう言っています。「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。(ヨハネによる福音書10章)」また、イエスの弟子ペテロはこう書いています。 「キリストは(...)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(第一ペテロの手紙2章)」

罪という問題をかかえているのはイエスではなく、私たち人間の方であるのにもかかわらず、そのとがめを負い、傷を受けたのはイエスでした。イエスの十字架刑は、彼の個人的な事情によるものではなく、罪ある者のための犠牲の死でした。言い換えれば、イエスの死が、我々の救いとなったのです。

スピリチュアルの中に『Were you there』という歌があります。

Were you there, when they crucified my Lord?
Were you there, when they crucified my Lord?
Oh sometimes it causes me to tremble, tremble, tremble...
Were you there, when they crucified my Lord?

「Were you there, when they pierced him in the side? Were you there, when the sun refused to shine?」と歌は続きます。イエスが十字架につけられたとき、君もそこにいたかい、彼の脇が槍で突かれたときあなたもいたかい、太陽が真っ暗になったのを見たかい..。たたみかけるこの歌は、圧倒的な臨場感をもって歌う者を、聴く者を、キリストの死の現場に立たせます。傍観者でいることはできません。むしろ周りの喧噪は消え、その場にいるのは自分と目の前に一本立つ十字架上のイエスだけであるかのような錯覚さえ起こさせます。身震い(tremble)のするようなその感覚。それは、意外な光景を見てしまったときの驚きではなく、身に覚えのある者の震えです。なぜなら、イエスを死なせたのは他の誰でもない自分の罪であるからです。また同時にそれは喜びの震えとなるかもしません。ずっと解決することのできなかった自分の罪がここで赦され、いやされたからです。逆説的に聞こえるかも知れませんが、amazing graceとはイエスが十字架で死んだことの恵みに他なりません。クリスチャンにとって十字架はこれほどの重みを持っています。

ですから『Were you there...』は、誰でも知っている遠い過去のエピソードではなく、非常に個人的な経験としてイエスを思い出す歌です。
クリスチャンとは自分の罪がイエスの死によって赦されたことを認める者なのです。また、このように人と神との一対一の関係がはっきりしているのも、キリスト教の特徴かもしれません。人はJesusの十字架の前に一人で立つことができる。信じる、とはそういうことなのです。

歌は問いかけています。
あなたも、そこにいましたか?


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