◆歴史的背景-historical background#1




ゴスペルの歴史は、大西洋を渡る奴隷船から始まりました。アフリカ大陸で人間を動物のように生け捕りにし、強制的に新大陸に送り込んだヨーロッパ諸国による*1「奴隷貿易」は、17世紀初頭に始まり、18世紀に最も盛んに行われました。その間、控えめに言って、1400万人以上のアフリカ人達が大西洋を渡りました。1808年にジェファーソン大統領によって奴隷貿易が禁止された後でも、アメリカ合衆国での黒人達の奴隷としての生活状況は変わりませんでした。1860年の合衆国国勢調査によれば、合衆国総人口の約14%を占めた黒人人口4,441,830人のうち3,953,760人(全黒人人口の89%)は奴隷だったといわれます。1861-65年の南北戦争は、有名な「奴隷解放宣言」によって黒人たちにやっと自由をもたらしましたが、解放後の彼らを待ち受けていたのは、厳しい「人種差別」でした。特に南部州では人種差別が根強く、黒人であるというだけで、就職、経済活動、教育、政治参加などあらゆる面で制限を受け、絶えずリンチにおびえる生活を強いられていました。


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↑→奴隷売買の中心地であったアフリカ西海岸。セネガル、ガンビア、シェラレオネの海岸が最初の犠牲となり、のちに象牙海岸や黄金海岸が注目されることとなった。最大の犠牲となったのは、そこから少し東部の現在のナイジェリアのある地方である。奴隷売買から免れることができたのは、奴隷商人が入ることができない砂漠(北部ではサハラ、南部ではカラハリ)や未踏の森林地帯など条件の悪い地方だけだった。






*1/黒人奴隷貿易はヨーロッパ諸国の場合もアメリカも、通常は大西洋上の三角形の周囲を1周する大循環路をとっておこなわれていました。これがいわゆる三角貿易であります。

ヨーロッパ諸国の場合は、
  1. 奴隷商人がヨーロッパの安価な製品を積んで、アフリカ西岸ゴレ島(ダカールに面する小島)からモザンビークにかけて奴隷を買い付けに行き、部族の首長を介して商品と交換する。
  2. 奴隷船で大西洋をこえて、奴隷達は西インド諸島、ブラジル、現在のアメリカ合衆国の東岸に位置する”植民地13州”の南部地方に売られ、奴隷商人は砂糖やコーヒーなどの熱帯産物をたくさん買った。
  3. それをヨーロッパに持って帰った。

アメリカの場合は、
  1. ニューイングランドからアフリカへラム酒や日曜雑貨などを運ぶ。
  2. アフリカで商品と交換した奴隷をアメリカに持ち帰って、南部州のプランテーションに売る。
  3. その金でタバコや米を買ってニューイングランドへ帰る。という構図でした。いずれの場合も2番目に当たる大西洋横断行路が奴隷船であり、史上に悪名高く残る”Middle Passage/中間航路”がこれであります。この三角貿易は、儲けの多い取り引きで、利益は投資額の2倍から、時には7〜8倍にも及んだとされています。



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